女子高生にサイン、コサインなどいらぬ,と県知事
鹿児島県伊藤祐一郎知事が2015年8月27日、県の
総合教育会議で、女子高校教育のあり方について『高校で
サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか』
『それよりももう少し社会事象とか植物の花や草の名前を
教えたほうが。。。』と発言して問題になった。(朝日新
聞2015年8月28日)
県知事は県の教育行政すべてにつき、最高責任者であり、
教育関連人事の最終発令者である。もちろん教育、教科内
容についても最終決定権者である。その人が、県の重要な
教育関連の会議で現行数学教育を否定した。
この論理で行けば『物理で原子を教えて何になる』とも
言える。これはただご とではない。ここで問題にするのは
ある県の県知事が教育の本来の意味を曲解していたことを
ただ批難するためではない。多くの人びとが同じような教
育認識を持っていると思われるからだ。
早稲田大学にはその卒業者で作る『稲門会』という組織
がある。この組織は強力、強大で、日本各地、どんな地方
にもその支部が存在する。いや日本どころかカナダ、バン
クーバー市にまで伸びている(バンクーバーでは最大の大
学OB団体)。
この各地の稲門会の講演に呼ばれて、日本くまなく歩き
まわる。そこでいつも聞くのは卒業生たちの昔話である。
この中で特に良く聞く話は『高校や大学での教科は実社会
では一 度も役に立たなかった』ということである。これは
教科そのものへの軽蔑と教員に対する皮肉でもある。
私は答える。『本当にそうですか?あなたの仕事に直接
役に立たなくても、あなたという人間の形成のすべてに、
ちゃんと役に立ってきたはずです』『あなたが気づかない
だけですよ』
もちろんそんなおだやかな会話だけではない、お酒の席
での激論もある。そんな時には私は一言。『あなたの会社
は大学での勉強も必要のないほど低レベルなんですか!』
稲門会という『身内』だから言えることだが。
われわれ教員は常にその教育内容が人びとにどのように
受け入れられて行くのか、に注意を払う必要がある。そし
てその教育内容が社会にとってどれほど有益なものである
かをいつも念頭におくべきなのだ。
サイン、コサインを含む数学や、原子にまで到達する物
理の教育が女子高校生にも重要であることをわれわれは説
得性ある論理で説明できなければならない。私自身はこの
論理を十分持っていると自負してきた。
しかし、ときどき自信が無くなることがある。それは一
般の高校の多くで、『理数系の教科の教育は生徒から完全
に無視されている』という現実を聞くからである(つまり
『授業放棄』の類)。
(物理科学月刊誌『パリティ』より)
総合教育会議で、女子高校教育のあり方について『高校で
サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか』
『それよりももう少し社会事象とか植物の花や草の名前を
教えたほうが。。。』と発言して問題になった。(朝日新
聞2015年8月28日)
県知事は県の教育行政すべてにつき、最高責任者であり、
教育関連人事の最終発令者である。もちろん教育、教科内
容についても最終決定権者である。その人が、県の重要な
教育関連の会議で現行数学教育を否定した。
この論理で行けば『物理で原子を教えて何になる』とも
言える。これはただご とではない。ここで問題にするのは
ある県の県知事が教育の本来の意味を曲解していたことを
ただ批難するためではない。多くの人びとが同じような教
育認識を持っていると思われるからだ。
早稲田大学にはその卒業者で作る『稲門会』という組織
がある。この組織は強力、強大で、日本各地、どんな地方
にもその支部が存在する。いや日本どころかカナダ、バン
クーバー市にまで伸びている(バンクーバーでは最大の大
学OB団体)。
この各地の稲門会の講演に呼ばれて、日本くまなく歩き
まわる。そこでいつも聞くのは卒業生たちの昔話である。
この中で特に良く聞く話は『高校や大学での教科は実社会
では一 度も役に立たなかった』ということである。これは
教科そのものへの軽蔑と教員に対する皮肉でもある。
私は答える。『本当にそうですか?あなたの仕事に直接
役に立たなくても、あなたという人間の形成のすべてに、
ちゃんと役に立ってきたはずです』『あなたが気づかない
だけですよ』
もちろんそんなおだやかな会話だけではない、お酒の席
での激論もある。そんな時には私は一言。『あなたの会社
は大学での勉強も必要のないほど低レベルなんですか!』
稲門会という『身内』だから言えることだが。
われわれ教員は常にその教育内容が人びとにどのように
受け入れられて行くのか、に注意を払う必要がある。そし
てその教育内容が社会にとってどれほど有益なものである
かをいつも念頭におくべきなのだ。
サイン、コサインを含む数学や、原子にまで到達する物
理の教育が女子高校生にも重要であることをわれわれは説
得性ある論理で説明できなければならない。私自身はこの
論理を十分持っていると自負してきた。
しかし、ときどき自信が無くなることがある。それは一
般の高校の多くで、『理数系の教科の教育は生徒から完全
に無視されている』という現実を聞くからである(つまり
『授業放棄』の類)。
(物理科学月刊誌『パリティ』より)
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