ひとは3度死ぬ
Oさんから以下の投稿をいただきました。
大槻先生こんにちは。いつも先生のブログ拝見させて頂いております。
最近の大槻先生のブログを見ていて気になったことがあったので質問させていただきました。
東大教授の矢作直樹氏の主張する魂の存在や霊界の存在を大槻先生は批判されていますよね。
江原啓之の批判本の中でも、人が死んだあとの魂も霊界も存在しないが、その人の生きた証は情報となって人々の記憶の中に残ると大槻先生は仰っていますが、どうでしょうか?
この世に生きた証さえ残らない者もいますよね。人々に忘れ去られ孤独に死んでいく者もいますよね。身寄りのないホームレスの人など。
その一方で著名な政治家など歴史に名を残し学校の教科書に載り、また国立公文書館にその人物に関わる資料が永久に残り、永久に人々の記憶の中で生き続ける者もいます。
魂がないなら本当に不公平な世の中です。
貧しい家に生まれた者、裕福な家庭に生まれた者、生まれながらに格差があります。
そして死んでもなお人々の記憶に永久に残る者、人々に忘れ去られる者、死んだあとでさえ格差があります。
世の中はとても不平等です。悲しいです。格差が嫌です。
私も魂や霊界の存在など信じていません。
しかし魂や霊界があるとすれば、少しは気持ちが救われます。
矢作直樹も彼は医者ですから人々に人生をより良く生きていって欲しい、そんな思いから魂や霊界の存在などを主張しているのかもしれません。
大槻からの回答
『ひとの死』とはどういうことか。ひとは肉体だけで生きているのではない
ですから、そのひとの死も肉体の死だけではありませんね。これに関しては
私の今週金曜日発行のメルマガで詳細に論じています。題して
『ひとは3度死ぬ』
です。是非お読みください。
大槻先生こんにちは。いつも先生のブログ拝見させて頂いております。
最近の大槻先生のブログを見ていて気になったことがあったので質問させていただきました。
東大教授の矢作直樹氏の主張する魂の存在や霊界の存在を大槻先生は批判されていますよね。
江原啓之の批判本の中でも、人が死んだあとの魂も霊界も存在しないが、その人の生きた証は情報となって人々の記憶の中に残ると大槻先生は仰っていますが、どうでしょうか?
この世に生きた証さえ残らない者もいますよね。人々に忘れ去られ孤独に死んでいく者もいますよね。身寄りのないホームレスの人など。
その一方で著名な政治家など歴史に名を残し学校の教科書に載り、また国立公文書館にその人物に関わる資料が永久に残り、永久に人々の記憶の中で生き続ける者もいます。
魂がないなら本当に不公平な世の中です。
貧しい家に生まれた者、裕福な家庭に生まれた者、生まれながらに格差があります。
そして死んでもなお人々の記憶に永久に残る者、人々に忘れ去られる者、死んだあとでさえ格差があります。
世の中はとても不平等です。悲しいです。格差が嫌です。
私も魂や霊界の存在など信じていません。
しかし魂や霊界があるとすれば、少しは気持ちが救われます。
矢作直樹も彼は医者ですから人々に人生をより良く生きていって欲しい、そんな思いから魂や霊界の存在などを主張しているのかもしれません。
大槻からの回答
『ひとの死』とはどういうことか。ひとは肉体だけで生きているのではない
ですから、そのひとの死も肉体の死だけではありませんね。これに関しては
私の今週金曜日発行のメルマガで詳細に論じています。題して
『ひとは3度死ぬ』
です。是非お読みください。
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