トルストイの宗教と哲学、何よりその文章の描写力
トルストイはネフリュードフ公爵とその恋人カチューシャ
の生き方を通じて、自分の人間としての全苦悩と喜びを語
る。もともとネフリュードフ公爵は高等教育も受け、教養
も豊かで、かつ誠実で、賢く、いわば当時のロシア帝国の
貴族として代表的な人物であった。
したがって身分違いのカチューシャを好きになって、ま
わりから批難されようと、そんなことに恐れることはなかっ
た。しかしカチューシャと結ばれて軍務につくと、あらゆ
る軍隊がそうであるように、そこは教養と知性が通じない
世界、いやいやそこは教養と良心を破壊する地獄であった。
ネフリュードフもそこで暴力こそ最高の価値であることを
強制され、酒と女の放蕩に染まってゆく。
やがて軍務から解放されるが、もはや彼はカチューシャ
のことなど眼中にない冷たい男になっていた。しかし、偶
然にも彼は裁判所でそのカチューシャに出会う。このこと
は前回に書いた。
帝政ロシアの貴族であったネフリュードフと家政婦カチュー
シャの心の変遷を通じてトルストイは悲惨な農民、『1等
商人から3等商人』、地主、貴族など当時の人間社会の矛
盾と不合理、を暴く。またその中でキリスト教、ロシア正
教などの教理、宗教哲学の深い理解を示すが同時にそれら
の宗教、哲学を批判もする。
その中で当時の民衆の中に芽生えたあらゆる抵抗運動、
反ツァーリズムの胎動を是認する。自由主義の3等商人、
反ロシア正教の若者、社会主義革命グループ、あげく殺人
犯にまで同情し心を寄せる。つまりトルストイは復活の登
場人物すべての苦悩を通じて、人間の持つあらゆる矛盾と
苦悩と歓喜を語る。
この過程でトルストイは人間の心の動き、人間と他者の
交流と矛盾、人間と社会、人間と自然の関係を緻密で微妙
で複雑で、しかも美しい文章で語る。私の生涯に読んでき
た膨大な本の中でこれほどまで素晴らしい文章に出会った
ことはない。永井荷風の東京下町風物を描いた『すみだ川』
『新橋夜話』あのすばらしい文章さえおよびもつかない。
たとえば以下はネフリュードフがカチューシャを犯して
しまった直後の描写である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カチューシャは身を震わせながら、何を聞かれても返事
をせず、黙りこくったまま、彼の部屋を出ていったとき、
。。。。。。あたりはいくらか明るくなっていた。下の門
のほうでは、氷の割れる音や鼻を鳴らすような音が前より
いっそう強まって、さらにそれに水の荒れさわぐ音が加わっ
ていた。霧は低くたれこめて、その壁のような霧のかげか
ら半月がのぞいて、何やら黒々した不気味なものを陰気に
照らしだしてていた。
(新潮文庫、『復活』木村浩訳)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
女性と最初に結ばれた直後、ネフリュードフのようなや
るせない不安を感じた男はたくさんいるはずだ。あなたは
このような経験はなかったか。トルストイはそのときのネ
フリュードフの感情をまったく描写せず、ただその時の自
然の情景だけを記述することによってネフリュードフの心
を描いたのだ。しかもそのときの自然の夜景の『不気味で
陰気』な情景はその後のネフリュードフとカチューシャの
人生の『半月』の光と影を暗示している。
の生き方を通じて、自分の人間としての全苦悩と喜びを語
る。もともとネフリュードフ公爵は高等教育も受け、教養
も豊かで、かつ誠実で、賢く、いわば当時のロシア帝国の
貴族として代表的な人物であった。
したがって身分違いのカチューシャを好きになって、ま
わりから批難されようと、そんなことに恐れることはなかっ
た。しかしカチューシャと結ばれて軍務につくと、あらゆ
る軍隊がそうであるように、そこは教養と知性が通じない
世界、いやいやそこは教養と良心を破壊する地獄であった。
ネフリュードフもそこで暴力こそ最高の価値であることを
強制され、酒と女の放蕩に染まってゆく。
やがて軍務から解放されるが、もはや彼はカチューシャ
のことなど眼中にない冷たい男になっていた。しかし、偶
然にも彼は裁判所でそのカチューシャに出会う。このこと
は前回に書いた。
帝政ロシアの貴族であったネフリュードフと家政婦カチュー
シャの心の変遷を通じてトルストイは悲惨な農民、『1等
商人から3等商人』、地主、貴族など当時の人間社会の矛
盾と不合理、を暴く。またその中でキリスト教、ロシア正
教などの教理、宗教哲学の深い理解を示すが同時にそれら
の宗教、哲学を批判もする。
その中で当時の民衆の中に芽生えたあらゆる抵抗運動、
反ツァーリズムの胎動を是認する。自由主義の3等商人、
反ロシア正教の若者、社会主義革命グループ、あげく殺人
犯にまで同情し心を寄せる。つまりトルストイは復活の登
場人物すべての苦悩を通じて、人間の持つあらゆる矛盾と
苦悩と歓喜を語る。
この過程でトルストイは人間の心の動き、人間と他者の
交流と矛盾、人間と社会、人間と自然の関係を緻密で微妙
で複雑で、しかも美しい文章で語る。私の生涯に読んでき
た膨大な本の中でこれほどまで素晴らしい文章に出会った
ことはない。永井荷風の東京下町風物を描いた『すみだ川』
『新橋夜話』あのすばらしい文章さえおよびもつかない。
たとえば以下はネフリュードフがカチューシャを犯して
しまった直後の描写である。
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カチューシャは身を震わせながら、何を聞かれても返事
をせず、黙りこくったまま、彼の部屋を出ていったとき、
。。。。。。あたりはいくらか明るくなっていた。下の門
のほうでは、氷の割れる音や鼻を鳴らすような音が前より
いっそう強まって、さらにそれに水の荒れさわぐ音が加わっ
ていた。霧は低くたれこめて、その壁のような霧のかげか
ら半月がのぞいて、何やら黒々した不気味なものを陰気に
照らしだしてていた。
(新潮文庫、『復活』木村浩訳)
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女性と最初に結ばれた直後、ネフリュードフのようなや
るせない不安を感じた男はたくさんいるはずだ。あなたは
このような経験はなかったか。トルストイはそのときのネ
フリュードフの感情をまったく描写せず、ただその時の自
然の情景だけを記述することによってネフリュードフの心
を描いたのだ。しかもそのときの自然の夜景の『不気味で
陰気』な情景はその後のネフリュードフとカチューシャの
人生の『半月』の光と影を暗示している。
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