悲惨なパリの殺戮、フランスの不幸な過去を引きずる
朝日新聞17日の報道によればフランスはシリアの
戦闘を拡大するため、憲法改正までする、という。
(以下引用)
仏大統領、IS打倒を宣言 ベルサイユ宮殿で異例の演説
パリ=神田大介、ブリュッセル=吉田美智子2015年11月17日03時10分
フランスのオランド大統領は16日演説し、パリで13日
に起きた同時多発テロ事件は「シリアで計画し、ベルギー
で組織され、フランスで実行された」と述べた。フランス
は事件後初めて、過激派組織「イスラム国」(IS)が首
都と称するシリア北部ラッカを空爆し、ISへの攻撃を強
めた。警察はイスラム過激派の拠点などを一斉に捜索。事
態はISとの全面対決の様相を呈している。
オランド氏の演説は、ベルサイユ宮殿に上下両院の全議
員を招く異例の形式で、党派の違いを超えてフランスが団
結し、テロに立ち向かう姿勢を示した。「ISはフランス
だけでなく世界中の国々を攻撃してきた。我々はISを倒
さなければならない」と強調。テロ対策で憲法を改正し、
国家非常事態宣言の3カ月延長、シリアでの攻撃を集中的
に進めるとした。
(引用終わり)
ベルサイユ宮殿で大統領の演説とは恐れ入った。日本の
首相が伊勢神宮で議会を開催して憲法改正を宣言したよう
なものである。フランスは今後総力をあげ、シリア戦争に
向かうという決意だ。フランスは、アメリカもやらない地
上軍の侵攻も考えている。そのための憲法改正か?フラン
スの右傾化が心配である。
何故そこまでフランスはシリアに関与するのか?それは
シリアはフランスの植民地だったからだ。ウィキベディア
に言う。
1920年7月24日 - フランス・シリア戦争でフランスが占領
フランス委任統治領シリア
1920年8月10日 - セーヴル条約によりフランスの委任統治
領(1920年-1946年)となる
1936年9月 - フランス・シリア独立条約(英語版)交渉で
フランスが批准を拒否。
1946年 - シリア共和国(英語版)としてフランスより独
立[3]。同年、自治権を求めるアラウィー派の反乱が起きる
が、政府により鎮圧。
一般にイギリスやフランスの旧植民地は植民地から独立を
達成した今日でも、『植民地支配』『植民地関与』からは
独立していない。経済的、文化的関与はもちろんのこと、
政治的支配でも陰に陽に関与している。あるいは関与した
がる。
フランスのシリア関与は中でも異常である。それは上に
述べたフランスーシリア関係の歴史をみれば納得できる。
『自由と民主主義の権化』の顔とは裏腹に、フランスの海
外植民地支配のウラの姿がシリア戦争でかいま見られる。
アメリカはイスラエルを守るため、フランス、イギリス
は旧植民地の関与を維持するため、海外の国家に戦争を仕
掛ける。その代償がテロの脅威だ。他国に戦争を仕掛けな
い国はテロに見舞われない。ドイツ、北欧、日本など、直
接テロの攻撃は受けなかったし、今後も、他の国に戦争を
仕掛けなければテロの脅威はない。
テロが嫌ならば、他国に戦争を仕掛けないことだ。その
国の政治がいくら悪であっても、それを変えるのはその国
の国民だ。北朝鮮や韓国の政治がいくら気に食わないと言っ
ても、朝鮮半島に軍事進攻などもっての外。旧植民地は悪
夢のほか、何ものでもない。
戦闘を拡大するため、憲法改正までする、という。
(以下引用)
仏大統領、IS打倒を宣言 ベルサイユ宮殿で異例の演説
パリ=神田大介、ブリュッセル=吉田美智子2015年11月17日03時10分
フランスのオランド大統領は16日演説し、パリで13日
に起きた同時多発テロ事件は「シリアで計画し、ベルギー
で組織され、フランスで実行された」と述べた。フランス
は事件後初めて、過激派組織「イスラム国」(IS)が首
都と称するシリア北部ラッカを空爆し、ISへの攻撃を強
めた。警察はイスラム過激派の拠点などを一斉に捜索。事
態はISとの全面対決の様相を呈している。
オランド氏の演説は、ベルサイユ宮殿に上下両院の全議
員を招く異例の形式で、党派の違いを超えてフランスが団
結し、テロに立ち向かう姿勢を示した。「ISはフランス
だけでなく世界中の国々を攻撃してきた。我々はISを倒
さなければならない」と強調。テロ対策で憲法を改正し、
国家非常事態宣言の3カ月延長、シリアでの攻撃を集中的
に進めるとした。
(引用終わり)
ベルサイユ宮殿で大統領の演説とは恐れ入った。日本の
首相が伊勢神宮で議会を開催して憲法改正を宣言したよう
なものである。フランスは今後総力をあげ、シリア戦争に
向かうという決意だ。フランスは、アメリカもやらない地
上軍の侵攻も考えている。そのための憲法改正か?フラン
スの右傾化が心配である。
何故そこまでフランスはシリアに関与するのか?それは
シリアはフランスの植民地だったからだ。ウィキベディア
に言う。
1920年7月24日 - フランス・シリア戦争でフランスが占領
フランス委任統治領シリア
1920年8月10日 - セーヴル条約によりフランスの委任統治
領(1920年-1946年)となる
1936年9月 - フランス・シリア独立条約(英語版)交渉で
フランスが批准を拒否。
1946年 - シリア共和国(英語版)としてフランスより独
立[3]。同年、自治権を求めるアラウィー派の反乱が起きる
が、政府により鎮圧。
一般にイギリスやフランスの旧植民地は植民地から独立を
達成した今日でも、『植民地支配』『植民地関与』からは
独立していない。経済的、文化的関与はもちろんのこと、
政治的支配でも陰に陽に関与している。あるいは関与した
がる。
フランスのシリア関与は中でも異常である。それは上に
述べたフランスーシリア関係の歴史をみれば納得できる。
『自由と民主主義の権化』の顔とは裏腹に、フランスの海
外植民地支配のウラの姿がシリア戦争でかいま見られる。
アメリカはイスラエルを守るため、フランス、イギリス
は旧植民地の関与を維持するため、海外の国家に戦争を仕
掛ける。その代償がテロの脅威だ。他国に戦争を仕掛けな
い国はテロに見舞われない。ドイツ、北欧、日本など、直
接テロの攻撃は受けなかったし、今後も、他の国に戦争を
仕掛けなければテロの脅威はない。
テロが嫌ならば、他国に戦争を仕掛けないことだ。その
国の政治がいくら悪であっても、それを変えるのはその国
の国民だ。北朝鮮や韓国の政治がいくら気に食わないと言っ
ても、朝鮮半島に軍事進攻などもっての外。旧植民地は悪
夢のほか、何ものでもない。
スポンサーサイト